悲しい涙はいらないそうです
なんということ無しに、アニメ『ベン・トー』最終話をニコニコ動画で眺めていた。2,3度くらいか。ラノベの賞でそこそこランクインする程度の作品だということくらいは知っていた。
あとは、私が好んで視聴する実況プレイヤーの推薦があったので、それくらいは気にしていたのだが、ふーむ。アニメ化に際して、動画を再訪する視聴者が多からずいたようで、それも楽しいイベントになった。
うん、たとえば『境界線上のホライゾン』が90年代臭がするとか、アカホリ臭がするとか言われているみたいで、あかほりさとるさんの感触というのはあんまり実感できないのだけれど、いや何が言いたいかというと、『ベン・トー』のほうが、古きよきアニメの体現みたいなのを感じるなという話がしたい。ホライゾンも充分に楽しい。
不勉強ながら原作ラノベ『ベン・トー』を未読であるのだが、どうなんだ。映像化してこういう感じだと言えるのだろうか。身も蓋もないが、スーパーの惣菜だ弁当だの棚の前で殴りあうだけ、あるいは喧嘩をしているだけという描写が描かれ、かつ想像されるだけなのか。
物語には多少弄りがあるらしく、一部では不評との声もあるみたいだが、違和感を強く感じることがなかった。違和感なんつーものを覆い尽くす「ベン・トー」の魅力に多少の原作改変による違和感など無に等しいのでしょうか。
なんで私が本作に90年代臭みたいなものを感じるかというのを簡単に考えてみたんだけど、これって細かい設定のないファンタジーなのよね。
いや、90年代のアニメに細かい設定がなかったとは言わないがしかし、幼い頃のわたしは細かい設定を知らずにして作品を楽しんでいた頃合いであったわけで、言ってみれば、細かい突っ込みどころを受けて流せるだけの勢いと魅力があると、ここまで言って終わると、それだけかよ、みたいな話になる。
いやー、しかし冷静になるとダサいってのはロックなんかもそうだけど、これは作品に熱中する要素として重要なのではないのか。腹を空かせた貧乏人が喧嘩するだけだよ、全然かっこ良くないし、むしろダサいし、汗臭い。
しかし、可愛い女の子の配置も絶妙というか、むしろこの人間関係の構図は所謂ゼロ年代を経たからこそとも思える。
昨今のネット世論()の興隆でもはや定説となっているが「メシの旨そうな作品は名作」というのがあるね。ジブリさんや鳥山明さんか、私としては藤子Fさんなどを筆頭に挙げたいが、そういうのの意識はあったんでしょうね。弁当監督がいたんでしたっけ。
CM間の弁当箱と中に入っている女の子たちと沸き立つ湯気などもたいへんに印象深い。これから先、弁当を開けるたびに私たちは思い出すわけでしょう。どうでしょう。
どうでもいいけど、「スーパーに悲しい涙は必要ない」とのこと。全部のお話のなかで、誰が泣いたかなんてあんまり覚えてないけど、モナークとか男泣きしたっけか。してないよな。
オルトロスの姉がスーパーで流したのは嬉し涙であって、佐藤と部長のトンチンカンな台詞が、彼女の嬉し涙と共にこれまた強く印象に残るのが旨い具合ですね。
白梅さんだっけ、ニコ動だとやたらと嫌われていたけれど、面白いな。どういう感じで彼女が配役されたのか分からんけど、作中でそれほど浮いてもみえなかった。ふーむ。